キラー・カーン

キラー・カーンといってすぐにモンゴリアン・チョップを連想される方はかなりのプロレスファンですね。キラー・カーン、本名・小沢正志(1947年生まれ)さんは新潟県新潟県西蒲原郡吉田町(現在の燕市)出身の元プロレスラーで、現在、東京都新宿区歌舞伎町で居酒屋カンちゃんを経営されています。

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キラー・カーンの経歴

キラー・カーンこと小沢正志さんは、ジャイアント馬場と同じ新潟県出身の方です。小沢さんは中学校を卒業後、その恵まれた体格を生かすべく、大相撲の春日野部屋に入門しました。越錦のしこ名で幕下まで昇進されましたが、1971年にプロレスに転向し、日本プロレスに入団しました。1973年に、坂口征二(俳優坂口憲二のパパです)選手らと共にアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスに合流しました。小沢選手は1976年に海外遠征に出発し、テムジン・モンゴル、キラー・カーンといったリングネームで大暴れしました。

アンドレの右足を骨折させる

キラー・カーンの名を全米にとどろかせたのは、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの右足を骨折させた事件(1981年5月)でした。実は、この事件には裏話があるらしく、試合中にアンドレがアクシデントで足を痛めたことを察知したキラー・カーンが機転をきかせてトップロープに上がり、両膝で相手を襲うフライング・ニードロップをアンドレに大して浴びせたように見せたといわれています。この事件を機に、キラー・カーンはWWFのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアに気に入られ、アメリカの会場で連日メインイベントで、アンドレ・ザ・ジャイアントと対決した時期もあったそうです。192センチ、140kgの巨体を有するキラー・カーンはハルク・ホーガンやアンドレといった大型外人レスラーと正面から堂々と渡り合える数少ない貴重な日本人レスラーでした。

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日本に凱旋帰国・そして引退

アンドレの右足を骨折させたことで一躍全米でスターダムにのし上がったキラー・カーンは1982年に日本に凱旋帰国し、同年3月の第5回MSGシリーズに出場し、決勝でアンドレと対決し生涯屈指の名勝負を演じ、ファンの大声援を得ました(残念ながら準優勝に終わる)。また、同年の年末に行われたMSGタッグ・リーグ戦ではタイガー戸口(全日で大木金太郎とタッグを組んでいたキム・ドクです)とタッグを組み、準優勝を果たしました。キラー・カーンはその後、長州力率いる維新軍団に加わり、親日正規軍と連日激しい戦いを繰り広げたものでした。1985年には長州力らとともにジャパン・プロレスの一員として全日本プロレスに上がりましたが、ジャパン・プロレスの分裂もあり、1987年にプロレス界から引退されました。

居酒屋カンちゃんの開店

プロレスを引退後、キラー・カーン(小沢正志さん)は新宿区中井に「スナックカンちゃん」を開店しました。その後、満を期して(?)、キラー・カーンは新宿区歌舞伎町に進出し、ちゃんこ料理を中心とした純和風の居酒屋カンちゃんをオープンしたのです。居酒屋カンちゃんは午後6時から朝4時まで(午前3時まで入店可能)が営業時間で、日曜日・祝日が定休日となっています。若者・サラリーマンにうれしいのが、明朗関係で料理のボリュームがたっぷりであること、そしてキラー・カーンがほぼ毎日、お店にいて、気さくに話しかけてくれるということです。私も何度か居酒屋カンちゃんに行ったことがありますが、キラー・カーンさん自らが注文をとってくれたり、料理を運んでくれたり、ちょっとしたプロレスの話をしてくれるのがファンとして非常に嬉しかったです(たまに、CDデビュー曲の「ふるさと真っ赤か」をお客のリクエストに応えて歌っていました!)。

尾崎豊との思い出

居酒屋カンちゃんの名物料理は、まずは「カンちゃん鍋」でしょう。お味は味噌ベースにキムチ味で非常に美味!一人前で2800円ですが、量は二人前あります(一人では食べきれないでしょう)。また、キラー・カーンが新宿区中井に店を出していた頃に、尾崎豊さんが常連客としてよくいらしたそうで、お店で出されるカレーライスを大変気に入っていたとのことです。尾崎豊さんが気に入っていたカレーライスが居酒屋カンちゃんでも名物料理の一つとして今でもメニューに残っています。